気楽に構えれば好転するのが運気
波乱万丈は諦めないでいれば元に戻る、でも手放せば戻らない。 恋愛も結婚も感情で捨てないで続けることを考えると、意外にいい結果に。
モーリス・メルロー・ポンティ
私たちはただ、絶対的で全面的な知識を気取っている科学の教条主義に反対しているだけです。要するに、人間の経験のあらゆる要素、とりわけ私たちの感官知覚を正しく評価しなくてはならないのです。
人間労働の意味は、現実的環境の向こう側に、各自が多くの局面から見ることのできる一つの<物の世界>を認め、そして無限な空間・時間を占有するということである。
もしも私どもがベルクソンを(1930年頃に)入念に読んでおりましたならば、それから10年あるいは15年が経ち、私どもが実存の哲学の功績だとみなすようになった様々な発見を、彼は私どもに教えてくれていたことでしょう。
世界には私たち〔ヨーロッパ人、大人、そしておそらくは男性〕だけがいるのではなく、世界は動物、子供、未開人、狂人にも開かれています。彼らは自分たちなりのやり方で世界に住み、彼らもまた世界と共に実存しているのです。
習慣とは、我々の「世界への(における)存在」(l'êtreaumonde)を膨張させる我々の能力、あるいは新しい器具をおのれに添加することによって実存を変える我々の能力、の表現である。
芸術の準永遠性は、受肉せる存在の準永遠性と一つなのであって、われわれは、芸術を始めるそのずっと以前に、われわれの身体において、歴史という感知し難い身体の最初の経験をしているのである。
われわれは無規定なものを積極的な現象と認めなくてはならない。性質がわれわれのまえに現れるのは無規定性の雰囲気においてである。性質の含む意味は多義的な意味であって、そこでは論理的意義よりもむしろ表現的な価値が肝心なのである。
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