幸せって美しく生きられるかを言う
ジャン・コクトー
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない。
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける。
芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている。
手には、物を掴む手と放す手がある。
私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている。
未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ。
芸術は、意識と無意識の融合である。
スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ。
芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる。
詩人はつねに真実を語る嘘つきである。
神童などという言葉は、家族のつくったものだ。
生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである。
先に見出し、後に捜し求めよ。
侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ。
文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである。
パリでは誰もが役者になりたがり、見物人に満足するものはいない。
家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる。この愛らしくも不思議な動物は生き生きとした静けさをかもしだし、王のような気品を漂わせながら悠然とわれわれのあいだを歩きまわり、自分にとっておもしろそうなもの、楽しそうなものを見つけたときのみ足をとめる。
0コメント